最終更新日:

2025年5月17日

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野木の歴史

野木町郷土館

野木町役場の敷地内にある野木町の歴史を知る上で是非訪れてみたい施設です。縄文時代から現代までの野木町の歴史をつぶさに感じられます。遺跡場所の地図、その遺跡から発掘された土器、江戸時代の街道絵図等の興味ある資料や生活用品等が沢山あります。野木町の史跡を訪れる前に立ち寄り、全体像を把握してから個々の史跡を訪れてみてはいかがでしょうか?
郷土館はボランティア団体の“野木歴史文化伝承会”により運営されています。
閲覧時間:9:00~16:00
休館日:毎週月曜日、国民の祝祭日、年末年始
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野木煉瓦窯及びホフマン館

日本の近代化遺産、ホフマン式円形輪窯かつて野木町の近代産業を支えた旧下野煉化製造会社の工場の一部。国の重要文化財に指定されている煉瓦窯は「ホフマン式円形輪窯」といい、明治23年に作られました。現存するものの中で唯一完全な形を保っている貴重な産業遺物です。外形は16角形、高さ約34メートル、周囲は約100メートル。明治23年から昭和46年までの約80年間、多いときで408,000本もの赤レンガを焼き上げました.
保存修理工事は2015年9月で終了し、2016年5月10日にグランドオープンしました。見学は9時~17時で見学料金は高校生以上は100円、高校生未満は無料です。
修理工事に併せて野木交流センター(愛称:野木ホフマン館)の建設も進められ、同時にオープンしました。ここでは体験学習等ができ、グッズ販売、軽食をとることができます。
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野木神社

野木神社

約1600年前の建立といわれ、二輪草の群生地としても知られています。およそ1600年前、仁徳天皇の時代の建立。平安時代の征夷大将軍、坂上田村麻呂が延暦21年(802年)東征時、蝦夷の反乱を抑えられたのは“神の助け”として、宮地を現在の場所に遷座しました。
鎌倉時代になると、源頼朝が社領として田地を寄付したり、源実朝が神馬を奉納するなど、源氏の信仰が厚かったようです。江戸時代の文化3年(1806年)、火災により焼失しましたが、もともと古河藩主の崇敬も厚く、土井大炊頭利厚(どいおおいのかみとしあつ)の莫大な寄進により文政2年(1819年)現在の社殿が再建されました(社殿と拝殿の2棟が2019年3月に県有形文化財に指定)。
社殿の背面にある大嵌め彫刻は見事です。山県有朋の書による社額もあります。本殿は江戸時代多くの彫工たちが建造物と彫刻を融合させた装飾意匠で、技巧的な彫刻の発展過程を示す寺社建築の一つとして価値が高いです。
4月の第2日曜日の春の例大祭及び12月3日には神楽(12座)が行われます。この神楽のうち、特に第5座の“五行の舞”は人気があります。また、12月3日の神楽と併せて行われる提灯もみが有名です。
境内には “一疋(いっぴき)のはね馬もなし河千鳥” の芭蕉の句碑があります。
[参考資料:“平成30(2018)年度第2回栃木県文化財保護審議会の会議結果について” の添付資料 “答申対象の文化財の説明”]
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黒馬繋馬図絵馬(こくばけいばずえま)

“黒馬繋馬図絵馬”は、江戸後期の代表的絵師である谷文晁(1763~1840)による繋馬図の大絵馬です。
本作と同じく金箔地で、よく似たポーズをとる谷文晁筆“白馬繋馬図絵馬”が東京浅草の浅草寺に残されており、好対照をなしております。
(県指定有形文化財 2017年4月指定)

黒馬繋馬図絵馬の裏面

”奉献”の横書きの墨書、”谷文晁”と”田部井弥助”の併記、その左に”文政一二年歳次”、”己丑秋九月”の年紀が2行に書かれています。奉納者の田部井弥助は古河城下の石町で雑穀商を営んでいた豪商、駿河屋の主人です。本絵馬は谷文晁と古河藩との縁故により、地元の有力者の経済力を背景として制作されたものと判断されます。なお、右側にある”野木神社所有”の墨書は奉納時の墨書が異なり、後に書かれたものと判断されています。
(栃木県教育委員会 10号議案 ”有形文化財の指定について”2017.3.16による)

野木神社太々神楽

野木神社の大いちょう

樹齢約1200年の大いちょうは「とちぎの名木100選」に入っています。垂れ下がった気根の様子から、母乳の出ない人の厚い信仰があります。

満福寺にある町指定文化財

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満福寺の板碑

鎌倉時代の中期、正元元年(1259年)につくられたもので、県内では最古の部に属しています。

古河公方足利成氏の墓

(こがくぼうあしかがしげうじ)
満福寺には、足利尊氏の子孫である足利成氏の墓があります。

猪苗代兼載の墓

(いなわしろけんさい)
応仁の乱後の京都で活躍した連歌師で、古河公方足利政氏に連歌を指導したといわれています。

旧日光街道沿いの史跡

野木神社から小山方面に国道4号線を歩いて行く約1km の間に進行方向に向かって左側に江戸時代の史跡が3つあります.散歩がてら訪ね,当時に思いを巡らせるのも楽しいです.

日光街道野木宿の説明板

日光街道は一般に杉並木であったが、野木宿では松並木であること等が説明されています。このことは”日光道中分間延図絵”(東京国立博物館蔵)にも記されています。

一里塚の説明板

江戸より17番目の一里塚です。一里塚は残念ながら残っていません。説明板のみです。

野木宿道標

道標は町指定文化財で、”是より大平に至る”と記されており、栃木で例幣使街道に合流し、野木以南と日光方面とを短絡する道です。

国指定登録有形文化財

新井家ふるさと記念館

明治30年代、栃木県随一の製糸所であった旧新井家製糸所跡地にある新井家。敷地内には国の登録有形文化財に指定された3つの建築(登録番号 第09-0199~0201号)があり、当時の貴重な道具が展示されています。中でも煉瓦造りの養蚕棟は野木町煉瓦窯で焼かれたレンガのうち、品質検査ではねられた不良煉瓦のみを用いて建造された貴重な建物です。18代新井元之助は下野煉瓦製造会社の顧問も務めていたため、煉瓦窯創業当時の下野煉瓦の印(星印)のついた煉瓦等の貴重な資料が残っています。
住所 栃木県下都賀郡野木町野渡328