野木神社


約1600年前の建立といわれ、二輪草の群生地としても知られています。およそ1600年前、仁徳天皇の時代の建立。平安時代の征夷大将軍、坂上田村麻呂が延暦21年(802年)東征時、蝦夷の反乱を抑えられたのは“神の助け”として、宮地を現在の場所に遷座しました。
鎌倉時代になると、源頼朝が社領として田地を寄付したり、源実朝が神馬を奉納するなど、源氏の信仰が厚かったようです。江戸時代の文化3年(1806年)火災により焼失しましたが、もともと古河藩主の崇敬も厚く、土井大炊頭利厚(どいおおいのかみとしあつ)の莫大な寄進により文政2年(1819年)現在の社殿が再建されました(社殿と拝殿の2棟が2019年3月に県有形文化財に指定)。
社殿の背面にある大嵌め彫刻は見事です。山県有朋の書による社額もあります。本殿は江戸時代多くの彫工たちが建造物と彫刻を融合させた装飾意匠で、技巧的な彫刻の発展過程を示す寺社建築の一つとして価値が高いものです。
4月の第2日曜日の春の例大祭及び12月3日には神楽(12座)が行われます。この神楽のうち、特に第5座の“五行の舞”は人気があります。また、12月3日の神楽と併せて行われる提灯もみが有名です。
境内には “一疋(いっぴき)のはね馬もなし河千鳥” の芭蕉の句碑があります。